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以前、映画で”メディシンマン”という題名の作品がありました。まじない師とでも言いましょうか。インディアン部族という未開の人間社会で、人々の未来を占いによって導き、病気や死に対する苦しみや不安を、まじないや薬草によって治療し緩和する。そんな内容でした。メディシン(Medicine)を辞書で引くと、病気を治療したり、健康を保つためのアート(芸術)であり、サイエンス(科学)であり、専門技術であると書かれています。薬や内科と言う意味もあります。そして最後に、アメリカンインディアンの中で魔法の力をもって病気を治すこととありました。私は卒後、内科研修医、大学の消化器内科、カリフォルニア大のデパートメント オブ メディシン、そして一般病院の内科と、常にメディシンの範疇に入る場所で仕事をしてきましたが、この言葉の意味を突き詰めて考えたことがありませんでした。いや考えたことがないと言うより、日々の診療や研究に時間をとられ、メディシンの本質に目がいかなかったのかもしれません。
開業を始めて丸2年が過ぎ、専門の診療ばかりではなく、色々な体験をしてきました。市民健康診査、予防接種、幼児検診。それ以外の医師会活動などもです。これらの地元における医師としての仕事を通して、様々な人々の悩み、苦しみ、不安があることを知りました。そして、今まで単に、病気をキチンと診断して治療することが医師としての役割だと思っていた自分の認識に疑問を感じるようになりました。お腹が痛い、咳が止まらない、頭が重い、眠れない。こんな自覚症状を訴えるために、患者さんは来院されます。様々な症状を、今まで習い覚えた医学の知識に照らし合わせて診断し、その診断名に沿って治療薬を処方する。これが今までどおりのやり方で、現在でも仕事の大部分をその線でやっています。しかし、このやり方では解決できない問題が、診療の現場では意外に多いのも事実です。現在、臨床医学の世界では、EBM(エビデンス ベイスト メディシン、根拠に基づく医療と訳されます。)と言う手法が流行っています。ある病名、ある状態の患者さんを治療するのに、正しい統計資料に乗っ取って書かれた論文の推奨する治療法を選択する手法です。これは正論で、同じような病気の人100人を治療した場合、他の方法を採るよりは、平均すると明らかに高得点を獲得できるでしょう。ところで我々が日々接している人々は、EBMで言う均一な人間集団とは限りません。もちろん、平均体重250グラムのラット達であるはずがありません。EBMが推奨するシナリオを提示することは大切で、これ抜きにはもはや現代医療を語ることはできません。しかしその上で、個人の希望に合った別の道をも提示することが、われわれ臨床医に求められている役割であります。EBMの押しつけは、一見目新しく見えますが、EBM以前の医療と本質は変わらないのです。胸を張ってEBMを押し進める立場の医者と、当惑しながらEBMを受ける患者さんの間には明らかな温度差も見られます。人はそれぞれ、現在という人生の一ページの中で様々なことを悩み、苦しみ、考え、そして楽しみます。そして、その何ページ、いや、何千何万ページの積み重ねの中で、個々人の人生観が養われます。それは両親や、教師に教えられたこと、新聞やテレビなど、メディアからの影響も含まれているでしょう。長年にわたって培われてきた人生観を損なうことなく病気を治療したり不安を取り除くことができれば、たとえEBMに沿わずとも、個人の価値観の尊重によって、その方の人生を豊かにしていることになると思うのです。鎌倉市医師会に入って驚いたことは、多くの先生方が夕方の診療を終えた後、様々な勉強会に出席して、新しい知識を吸収しようとされています。これは、EBMの材料を学んでいることになるでしょう。そして、自分達が行き会った個別の問題点を例に出し、熱心に質問されている方もいます。最新と称する画一的な医療がベルトコンベアー式に行われている中で、多くの仲間が一つ一つの細かい問題を解決する糸口を探るため、懸命に努力をしている様を見ました。そして目をつぶると、質問に立っている方が、サイエンスを基に、アートを基に人の悩みを解決し、時には「大丈夫だよ、きっと治ります。」と、いたわりの言葉をかけながら人を安心させ、まれには、「ちちんぷいぷい 痛いの痛いの 飛んでいけ!」っと、呪文をつぶやきながら苦しみを和らげている姿が瞼に浮かびました。幅広い知識。高い見識。そして、良識ある判断。自然を畏怖する心も持ち合わせています。”メディシンマン”そう言い換えても良い姿がそこにありました。単なる医療技術者ではなく、「現代のメディシンマン」と成れ。これこそまさに今、市民が我々に求めている姿ではないかと思うのです。
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