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車輪の上の美味しい日々     2006
(神庫原稿)       山口内科 山口 泰


 鎌倉へ転居後、友人に勧められ自転車を購入した。自分用の自転車は中学1年生以来、実に31年ぶりであった。当時買ってもらったばかりの自転車は、タイヤのゴムや潤滑油の香り、ドロップハンドルに巻かれたビニールテープの感触も心地よく、スピードを出してバンバン走るぞという気にさせてくれた。今回はマウンテンバイクであるが、子供の頃のウキウキした気分がよみがえり、購入直後の新車にまたがると、夜道を意味もなく変速しながら遠回りをして帰った。マンションの管理事務所で以前時々借りていたママチャリと違い、踏み出しが軽くスイスイ進み、知らず知らずのうちに時速30km程度のスピードが出ていた。ハンドル操作もクイックで、思い通りのラインを苦も無くたどることができ、27段変速もスパスパ決まってブレーキも前につんのめるほどよく利いた。30年前のスポーツ車との違いに目を見張りながら、寒い中試しに三浦半島の先まで走ってみると、子供の頃、二宮あたりまで一人でサイクリングをした思い出がよみがえってきた。 中2の春、何を思ったのか土曜の午後に海岸道路を西へ向かっていた。潮風を感じながら気持ちよく走っていると、すごいスピードの競輪選手のような人に抜かれた。若さ故かムキになって追いかけているうちに気がつくと、馬入川近くまで来ていた。自力でそんな遠出をすることは初めてだったので、改めて自転車による行動範囲の広がりに驚き、羽が生えた様な感触を覚えた。周りの自動車に追い立てられるように橋を渡り、西湘バイパス近くまで来ると国道1号線へとハンドルを切り、松並木の続く大磯へと向かった。当時は今以上に松の木やそれに似合う町並みが続き、やけにノンビリしたところに来たものだ思った。そして二宮あたりまで走ると急に夕日が眩しくなり始め、空腹に心細さが増幅され、これ以上進むのを諦め引き返すことにした。帰る道すがら、“なぜこんなところに来たのだろう?理由がなくとも色々と見知らぬ景色を見て良い経験になったではないか。”“勉強をサボったけどまあいいか、明日数学と英語をやっとけば試験に間に合うかな?”クラスメートとのトラブル、ちょっと気になっている人のこと、そして最後は今夜のおかずは何かな?などと自然発生的に、とりとめもないことを考えていた。走行中考えごとをしているのはよそ見運転と同様で、危ないことこの上なく、気がつくと急ブレーキをかける場面もあった。そして、考えていたことの詳細はペダルを回すごとに記憶から消え、一人で行った冒険の思い出だけが心に残った。

 さて、その後自転車にはほとんど乗る機会もなく、ペダルをこぐ楽しさを忘れかけていたが、40半ばを過ぎてペダルを再びこぎ始めるとこれがなかなか気持ちがよく、みるみるうちに体重が減ってくるのにも励まされ、土日に近くをサイクリングするようになった。自転車で走る鎌倉近辺は、海に山、寺社仏閣に奥ゆかしい民家、しゃれたマンションやレストラン、そして切り通しや川沿いのサイクリング道路などがあり、その多彩さや彩りに改めてこのエリアの素晴らしさを再認識した。普段あまり通ることのない道をどこへでも入ることができるのも自転車ならではのこと。こんな楽しみを土日だけにしておくのはもったいないと友人の先例にならい、半年後には自転車通勤を始めていた。最初は朝から乗るとかったるくて仕事に差し障るかと思ったが、仕事場に着く前に軽く汗をかいておくと体がリラックスして頭もスッキリし、午前中の仕事が疲れなくなった。また、清々しい鎌倉の緑が醸し出す新鮮な空気を吸いながらの通勤は、心身共にリフレッシュでき、想像以上に気持ちの良い時間となった。春は梅や桜を愛で、初夏は新緑にむせながら水路に群生するみずみずしいショウブに目を奪われる。夏はどの家の花たちも競うように咲いています。秋は、コスモスや楓、そして紅葉。冬に入るとツバキやマンリョウがこぼれ落ちそうです。毎朝のサイクリングロードはまるで植物園の中の散歩道。このように通勤すること自体が楽しみに変わりました。また、半ドンの日に越えて帰る源氏山の寄り道もトレイルランをしにきたような錯覚を覚え、週に一〜二度のスパイスになっている。車上で景色を眺めているだけではありません。自転車の上は昨日起こったことを思い起こしたり、今日何をやるか考える時間でもあります。そして、一週間後1ヶ月後にどんなことをやっていこうかプランを練る場にもなっています。もちろん自転車操業で思いつく端から忘れてしまうこともありますが、昼休みにボーっと考えるのと違い、ペダルを漕ぎながら浮かんでくることはなぜかポジティブ思考のことが多いようです。アドレナリンが分泌されているからかもしれません。このように自転車通勤は、健康増進だけでなく、心身がリフレッシュされ、サイクリングの楽しみ満喫でき、そしてポジティブ思考を毎日積み重ねることができるなど驚くほど有意義です。これからも日々ペダルを踏みながら車輪の上での生活を楽しみ人生を豊かにしていきたいと思っています。余りよそ見をしたり、心そこにあらずの状態になって危ない思いをしないよう気をつけながら。