News
打診  (神蔵掲載のエッセイ)    2003/4/16

 子供の頃、風邪をひいてお医者さんにかかると、聴診器で胸を診察されたのち、最後に背中をポンポンと叩かれて、「大丈夫ですよ。」と、よく言われました。聴診されるのと違って何をされているのかわからないのに、優しい手でポンポンとされると妙に安心したものです。時は流れ医学生も高学年になると、診断学という診察技術を勉強します。その教科書の中で、私はポンポンが打診と呼ばれる手法であることを知りました。なるほど、これが打診なのかと言った感じです。でも、打診という言葉にお目にかかるのは、何もその時が初めてではありません。“ここでは歩を打って、銀で取ってくるか、金で取るか、飛車が引くかを打診しましょう。”と、将棋の本には書いてあります。スポーツニュースでは、“ヤンキースは松井選手が入団する意志があるか、水面下で打診してきた模様です。”などと、言っています。打診は、“診”という漢字が入っているので、医術に語源があります。医学用語は、ほとんどのものが医療従事者の間だけで使われるため、一般の方々には馴染みがなく、違和感を覚えるものが多いようです。しかし、打診という言葉は広く使われているので、医学生だった私も、医術にその語源があると初めて気づいたとき、新鮮な驚きを覚えました。これほど一般化した医学用語は他には無いからなのでしょう。さて、医者、特に内科医の仕事の1つは、五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)のみならず、第六感まで働かせ、病気のありかを探ることです。打診は本来、体をポンポンと叩いてみて、楽器同様その鳴り方で、どんなものがその指の下にあるのか知る手法です。これには聴覚、そして指の先で振動を感じる触覚に加え、第六感も働かせています。やり方は、指導担当の若手講師から、実地で習いました。最初は、胸や腹を叩く指先もおぼつかず、形ばかりの打診となり、指の下に何があるのかさっぱりわかりませんでした。そして、レントゲン、超音波、CT、MRIなど様々な画像診断装置の発達の恩恵を受け、五感六感を働かさずとも体の中の病巣が簡単にわかる時代に入りつつありました。そんな環境では、打診の存在意義はかすみ、日々の仕事の中で打診をはしょりがちになりました。大学病院などでは伝票を一枚書いて電話をすると画像診断検査の予約が取れ診断がつくので、打診などそっちのけです。診療所で仕事をしている現在は、何事もこのように簡単には運ばないので、病院に勤務している頃に比べ、打診をする機会が増えましたが、画像診断の波には逆らえません。我が診療所でも、狭義の意味での打診の重要性は、地盤沈下してきています。昔はきっと、打診に心血を注いだ人達も大勢いたに違いありません。古い技術が風化して、価値が失われていくのを見ることは寂しいものですね。打診はこのまま死んでしまうのでしょうか?しかし、ちょっと待って下さい。狭義の打診は廃れつつありますが、広義の打診は廃れるどころか脈々と生きています。そして、日常の外来診療では、益々その重要性を増してきています。もちろん広義の打診は、ポンポンと実際に叩くわけではありません。近年、マニュアル医療を推進する向きもありますが、日々の診療はマニュアルどおりにはいかず、試行錯誤の連続です。マニュアルどおりにやって、あとは知らないと言うわけにはいかないからです。特に、治療効果を測りながら薬を使うことは、まさに内科診療の妙と言えましょう。これは医者が患者を指や手で叩く狭義の打診ではありませんが、病気を薬で叩いてみる打診と言い換えられます。歩を打って、相手の出方を見る将棋の用兵と通ずるものですね。熱を出したり、お腹の痛い方々の病気の原因や状態を推測して、様々な薬を処方し、どのように効いてくるか打診する。そして、その反応は二日後、四日後、一週間後などに手応えとして跳ね返ってきます。うまく跳ね返ってきたときは本当に嬉しいものです。大病院での、週に一〜二度の外来と違い、診療所での仕事は毎日がこんな細かい打診の連続です。この打診には、我々だけでなく患者さん方の役割も大切です。「熱が下がって楽になりました。」「お腹の痛みが全然よくなりません。」など、様々な反応があってしかるべきです。どうぞ、これらの手応えを素直に我々に返してください。これからも我々は、このような打診技術を研ぎ澄ましていきます。鎌倉近隣の皆さんも、我々の治療にポンポンと呼応しながら、安心して医療を受けて欲しいですね。昔、胸やお腹を打診され、ホッとした私のように。

           山口内科  山口 泰